2017年7月6日

本のことを中心に

最近時間が過ぎるのが本当に早い。今年も上半期が終わってしまい、もう七月。その七月も一週間が経とうとしている。いろいろと焦る。焦りの只中でのブログの更新です。


四月からずっと体の不調がつづいていた。虫歯になったり、疲れがとれなかったり、湿疹が悪化したり。そういう不調にもひと段落がついたのか、今朝、ふと今あまりそういう不調のためのストレスのようなものがないことに気づく。この殊更調子がよいわけではないが少なくともマイナスではない状態というのがほんとうに尊い。こういうときにこそできることがあるはず。


早稲田のブックカフェCat's Cradleのオーナーから連絡があり、今年も恒例のIndependent Bookstore's BOOK FESに参加させていただくことに。例年10月初旬の開催だったのが、今年は9月の開催とのこと。大阪の葉ね文庫さん、富山のよこわけ文庫さん、青森のらせん堂さんたちにお会いできるのもたのしみ。今回も面白そうな本をたくさん持っていこうと思っています。よろしくお願いします。詳細はそのうち。


このあいだ、ささま書店の藤田くんと久しぶりにゆっくり話した。「古本屋ってタイミングを売るみたいなところがあるじゃないですか」などと面白いことをさらりと言う。これを聞けただけでも一杯奢る価値があったというもの。それからずっと「タイミングを売る」ことについて考えている。あるいはどうすると「タイミングを売る」ことができない店になってしまうのか、ということについても。これについてはまた機会を改めて自分の考えを書いてみたい。


最近読んだ本のことも少し。昔からミステリーを読んでいても途中で犯人が分かった試しがない。しかし、最近読んだウィリアム・アイリッシュの『幻の女』では半分を過ぎたころで犯人の目星がつき、うれしくて小躍りする。妻にも「俺はこの小説の犯人が途中で分かったのだ」と自慢する。ところが最後まで読んでみると全然ちがう登場人物が犯人なのだった。目が節穴なのだと思う。


数学者の岡潔のエッセイをまとめた『岡潔――数学を志す人に』はとても興味深く読んだ。「ぼくは計算も論理もない数学をしてみたい」など、数学について決めてかかっていたイメージが覆るような、なんだかものすごいことばかりが書かれている。数学の話ではないところでは、中谷宇吉郎の弟、治宇二郎との交流に触れたくだりが忘れ難い。治宇二郎は1936年に脊椎カリエスで亡くなった。「私はこの人が生きているうちはただ一緒にいるだけで満足し、あまり数学の勉強に身がはいらなかった」。


その中谷治宇二郎は俳句を嗜んでいたそうだ。「戸を開くわずかに花のありかまで」の句に、岡潔は考古学者でもあった俳人の学問のうえでの理想を読み取っている。「サイレンの丘越えてゆく別れかな」は最後に岡が治宇二郎を見舞った1935年の夏に詠まれた。

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