2017年7月27日

『隔月新聞ごはん』は夏ランチ

リトルスターレストラン発行『隔月新聞ごはん』の新しい号が到着しています。いつも思うのだけれどこのクオリティのフリーペーパーを隔月で出せるというのはものすごいこと。よもぎBOOKSの辰巳さんといっしょに連載している「新・本のソムリエ」。今回のテーマは「ひんやりする本」ということで二人とも背筋がひんやりするような怖い本(?)を紹介しています。水中書店では入口付近のフリーペーパーのラックで配布しております。ぜひ手に取ってご覧ください。


一面は「夏ランチ」ということでおいしそうなチキンカツカレーとフレッシュトマトのハンバーグの写真がドンと出ています。まんまと釣られて、近いうちにランチを食べに行こうか、などと妻と相談していたりします。水中書店の常連さんでも「このひとリトスタのこと好きになってくれるかも!」という方がたくさんいらっしゃるので、唐突にこの新聞を手渡すかも知れませんが、そのときはよろしくお願いします。

2017年7月26日

最近考えたことなど

梅雨から夏は古本屋にとってはなかなか大変な季節だ。そういうときだから、一冊の本を買っていただけるということの重さが身に沁みる。いつの間にか、本が売れるということ、買って下さるひとがいるということに慣れてしまっていたのかも知れない。考えてみれば今のような時代に、たとえ一冊でも本が売れるということ、買って下さるひとがいるというのはすごいことなのだ。その面白さ、ふしぎ、かけがえのなさにもっと自覚的でありたい。


ご報告。今月15日に行われた「タワーズマルシェ@むさしの」に参加しました。16時から20時という短い時間でしたが、たくさんのひとに足を運んでいただくことができました。ありがとうございました。はじめて水中書店のことを知ったという方もちらほらおられて、店の宣伝ということでも有意義でした。それにしても暑かった。


某日。熊本の古書汽水社の佐藤さんから水中書店のことを教えてもらったという方が足を運んで下さる。こういうのはうれしい。俳句が好きな方で、好きな俳人や俳句の話もできてたのしかった。話しているうちに、お互いに俳句を読むのは大好きで、最近になって自分でもつくりはじめたばかりだということが分かって親近感を抱く。歳時記が読みものとしてめちゃくちゃ面白いという話。自分でつくるとなると難しいが、いざという時のために句帳は鞄に入れているという話。


そういうことで俳句のこと。先日池袋のジュンク堂でふと手にした藤井あかり『封緘』がとても気に入っている。「夏蝶にしばらく日陰なかりけり」「折紙を折れば夏至なる影をもつ」「夏至の日を映しおほせし水面かな」「書出しのインクを垂らしたき泉」「遠く見て風の重さの百日紅」「君家に着きたる頃の雷雨かな」「印刷屋すずしき音を立ててゐて」「もの書けば余白の生まれ秋隣」。とても好きになれそうな句集が傍らにあるというのがうれしい。好きなだけ飲んで構わないめちゃくちゃおいしい水がある、ような気持ち。


その流れで最近の読書のこと。ジョージ・オーウェルの『1984年』をハヤカワepi文庫の新訳で読んだ。ピンチョンによる解説付きのお得な一冊。あまりに有名な現代社会のあり方に警鐘を鳴らす寓話。細部にちりばめられた、主人公の管理社会以前の過去への想い(それは書物や手紙や硝子製のペーパーウェイトなどへの愛情のかたちで顕われる)にほだされる。


はじめに書いた梅雨から夏の古本屋の事情から、日常的に「本当に街に本屋は必要なのか」「そもそも本を読むことに意味はあるのか」などの極端な問いを突きつけられているような気持ちでいるのだけれど、ざっくり答えると、読書はたのしい。そして読書生活をより充実させるためにも街に本屋はあったほうがよい、と勢いで押し切っておきたい。では、今日はこのあたりで。

2017年7月14日

購書と告知

今月に入ってからお店がヒマで、なかなかしんどい。今日は開き直って休憩をたくさんもらい、まずは南口の啓文堂へ。荻原魚雷さんのブログで知ったジョシュア・ウルフ・シェンク『POWERS OF TWO 二人で一人の天才』(英治出版)を探すも、見つからず。もう一冊探していた川添愛『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット――人工知能から考える「人と言葉」』(朝日出版社)もどうにも見つからない。こういうとき菊地信義さんならば、自分でその本を棚に見つけたときに装丁と視線のあいだで生まれる「劇」のためにも店員に場所を尋ねたりはしないのだろう、などと思いつつ店員に問い合わせる。すぐに二冊とも持ってきていただけて助かる。それにしても新刊書店でルポルタージュや自己啓発の本を探すのが本当にヘタクソだ。前に千葉雅也『勉強の哲学』を啓文堂で買ったときも、やはり場所がわからず店員の方のお世話になったのだった。
そういうわけで無事に二冊を購入。今月は本を買いすぎていて、後半は本当に一冊一冊を吟味して買わなければならないぞ、と考えながら北口のカフェ・ド・クリエ(店から近くて連絡があればすぐに戻れるので便利な)で買ったばかりの本を撫でる。しかし読むのは手持ちのジョージ・オーウェル『1984年』であったりする。人民の思想を矮小化するために、新しいことば(ニュースピーク)の語彙を減らしていくという超管理社会の政策に唸る。なるほどね。
ところで、明日は先日も告知したタワーズマルシェ@むさしのです。三鷹北口の武蔵野タワーズ公開空地で16時にスタート&20時までの夜のマルシェ。水中書店も古本をたくさん持っていきます。文庫、マンガ、サブカル、そのほかいろいろ。よろしくお願いします。甘味やお酒の出店もあるそう。そういうなかに出店するのははじめてで、少し緊張。

2017年7月12日

新しい本 その2

水中書店では、古書のほかに新刊書籍やリトルプレスも取り扱っています。今日はそのなかからいくつかを紹介させていただこうと思います。気になるものが見つかったら、ぜひ足をお運びください。ついでに古書の棚もご覧いただけたら、とてもうれしいです。古本好きの方も、時々目線を新刊の棚にうつしてみると、思いがけない出会いがあるかも知れません。


藤原安紀子の本

詩誌『カナリス』5号
1,080円(定価)

詩集『ア ナザ ミミクリ』(書肆山田)
2,808円(定価)

藤原安紀子さんの詩をはじめて読んだときのことはよく覚えています。そのときまでに自分は「現代詩というやつはこういう風に読めばよいのだろう」という、自分なりのコツのようなものを掴んだようなつもりでいましたが、藤原さんの詩を読んでみると、その言葉の前ではそういう自分の粗末な武装のようなものがまったく意味をなさないものであることは明らかで、途方に暮れるしかなかったのでした。そうして途方に暮れつつも、その言葉の連なりの心地よさ、力づよさ、おおきな謎に、こころ動かされたのだと思います。Fさんの紹介で藤原さんの主宰する同人誌『カナリス』を取り扱うようになったのは昨年のことで、今回は最新の5号を入荷しました。今号から時里二郎さんが新同人として参加しています。
『ア ナザ ミミクリ』は2013年に刊行された藤原さんの詩集です。ご縁ありこの本も新刊として取り扱いさせていただいています。全冊署名入りです。


ある個人詩誌

『Obscurity』1号
300円(定価)

『Obscurity』は詩人の逸可実和子さんの個人詩誌。その創刊号を入荷しています。著者は市民の詩のサークルへの参加をきっかけに詩に親しむようになり、「ささやかだけれど大切な言葉の贈り物を循環している人たちの中に私も入っていけたら」と本誌の創刊にいたった決心を語られています。奇しくも、『現代詩手帖』7月号の「詩誌月評」で、藤原安紀子さんが本誌について触れられています。「おそるおそる掬い上げ、手のひらに乗せ、そっと磨いてみたり、時に大胆に削ったりしながら慈しんできた、言葉への作者の誠意と努力が紙面から窺える」。このちいさな詩誌とは、ぜひ弊店の棚で出会っていただきたいです。


うたの鞄と手帖

『かばん』2017年6月号
500円(定価)

『カイエ』6号
500円(定価)

ともに短歌同人誌である『かばん』と『カイエ』は毎号刊行の度に入荷している数少ないタイトルです。『かばん』2017年6月号は東直子さん、東こころさん、原田洋子さんによる巻頭の特別作品をはじめ、充実の内容。「今月の一冊」では尼崎武歌集『新しい猫背の星』が採りあげられています。四月号から表紙装画はカシワイさん。とてもすてきです。
『カイエ』6号には「水の短歌」と題されたテーマ詠に頁が割かれていて、「水中書店」の店主としてはとても興味深く読ませていただきました。「眠るときわたしは波の舟底にゆられて思う、ゆれては沈む」(窪田政男)「水際のあそびさみしくここからは夏にほどける花首を持つ」(稲泉真紀)。


今日のところはここまで。水曜日は、まだ本調子が出ないものです。

2017年7月11日

購書日記(6)

午後の早い時間にやるべきことの最低限を済ませて、黄色い電車で高円寺へ。まず藍書店を覗く。冷やかすだけのつもりがずっと探していた近藤洋太『矢山哲治』(小沢書店)を見つけて購入。勢いをつけて大石書店では店頭の特価本を、アニマル洋子では川上弘美の文庫本を買う。ひさしぶりに七つ森でひと休み。学生のころを思い出す。妻と待ち合わせた新刊書店の文禄堂では気になっていたちくま新書の『時間の言語学』などを。一杯ひっかけた後に古書サンカクヤマへ足をのばして、山川出版社の日本史ブックレット『小林一茶』を買う。たくさん買ってしまった。うれしい。たのしい。アニマル洋子のOさんとも話したのだが、古本屋にとっては大変な時代であれ、とにかく古本を売ることも買うこともたのしみたい。それに尽きる。

2017年7月6日

本のことを中心に

最近時間が過ぎるのが本当に早い。今年も上半期が終わってしまい、もう七月。その七月も一週間が経とうとしている。いろいろと焦る。焦りの只中でのブログの更新です。


四月からずっと体の不調がつづいていた。虫歯になったり、疲れがとれなかったり、湿疹が悪化したり。そういう不調にもひと段落がついたのか、今朝、ふと今あまりそういう不調のためのストレスのようなものがないことに気づく。この殊更調子がよいわけではないが少なくともマイナスではない状態というのがほんとうに尊い。こういうときにこそできることがあるはず。


早稲田のブックカフェCat's Cradleのオーナーから連絡があり、今年も恒例のIndependent Bookstore's BOOK FESに参加させていただくことに。例年10月初旬の開催だったのが、今年は9月の開催とのこと。大阪の葉ね文庫さん、富山のよこわけ文庫さん、青森のらせん堂さんたちにお会いできるのもたのしみ。今回も面白そうな本をたくさん持っていこうと思っています。よろしくお願いします。詳細はそのうち。


このあいだ、ささま書店の藤田くんと久しぶりにゆっくり話した。「古本屋ってタイミングを売るみたいなところがあるじゃないですか」などと面白いことをさらりと言う。これを聞けただけでも一杯奢る価値があったというもの。それからずっと「タイミングを売る」ことについて考えている。あるいはどうすると「タイミングを売る」ことができない店になってしまうのか、ということについても。これについてはまた機会を改めて自分の考えを書いてみたい。


最近読んだ本のことも少し。昔からミステリーを読んでいても途中で犯人が分かった試しがない。しかし、最近読んだウィリアム・アイリッシュの『幻の女』では半分を過ぎたころで犯人の目星がつき、うれしくて小躍りする。妻にも「俺はこの小説の犯人が途中で分かったのだ」と自慢する。ところが最後まで読んでみると全然ちがう登場人物が犯人なのだった。目が節穴なのだと思う。


数学者の岡潔のエッセイをまとめた『岡潔――数学を志す人に』はとても興味深く読んだ。「ぼくは計算も論理もない数学をしてみたい」など、数学について決めてかかっていたイメージが覆るような、なんだかものすごいことばかりが書かれている。数学の話ではないところでは、中谷宇吉郎の弟、治宇二郎との交流に触れたくだりが忘れ難い。治宇二郎は1936年に脊椎カリエスで亡くなった。「私はこの人が生きているうちはただ一緒にいるだけで満足し、あまり数学の勉強に身がはいらなかった」。


その中谷治宇二郎は俳句を嗜んでいたそうだ。「戸を開くわずかに花のありかまで」の句に、岡潔は考古学者でもあった俳人の学問のうえでの理想を読み取っている。「サイレンの丘越えてゆく別れかな」は最後に岡が治宇二郎を見舞った1935年の夏に詠まれた。

2017年7月2日

タワーズマルシェ@むさしの

こんばんは。今日はお知らせで更新です。


7月15日の土曜日、三鷹北口の武蔵野タワーズ公開空地で開催の「タワーズマルシェ@むさしの」に古本の棚を出させていただくことになりました。今回で5回目となるタワーズマルシェですが、弊店ははじめての参加。よろしくお願いします。会場は水中書店からも歩いてすぐの場所です。ぜひセットでまわっていただきたいです。

今回のマルシェは初めての夜の部とのことで、スタートは16時。お酒や軽食のお店もたくさん出されるそうで、とてもたのしみです。ぜひぜひ足をお運びください。
水中書店は新しめの文芸、マンガ、サブカルなどを持っていくほか、「最近店主が読んだ本」の棚もつくってみよう、などと考えていたりします。まだ準備をはじめたばかりなのであくまで予定ですが。

夏の夜、お酒を片手に雑貨屋や古本屋を冷やかしながらの散歩、とても愉しいのではないでしょうか。自分もビールなど飲みながら売り子を務めたいところですが、撤収作業でも車をつかうのでガマンしようと思います。

2017年7月1日

積読考

四月以降か、積読を減らしていこうと考え、そういう風にしてきたのだけれど、その結果積読がもたらしていた豊さと呼べそうなものもあり、それが失われてきているという実感に至る。オンライン書店から届いた本を封も開かずに部屋の隅に積むというのなら話は別だが、通読せずとも表紙を撫でたり、著者の略歴や解説にだけ目を通したり、なんとなく指の引っかかったページから拾い読みをしたり、そういうのはやはり読書的な営みだと思う。積読を避けるために本を買い控えると、そういう機会も減る。セックスなしでもペッティングしていたら浮気、みたいなもので、通読なしでも積読していたら読書と言い切ってしまって構わない。そういう気持ち。