2017年5月3日

四月中旬以降のこと

この半月ほどのことを、あまり順序立てずにつらつらと書いてみます。まずは店の現状のこと。自分のほかに従業員がほぼ常にいるということに、少しずつ慣れてきた。従業員のほうから「慣れてきましたね」などと言われてしまうのだから、まあ間違いないはず。すべて自分でやらなければ、と三年間ずっと力が入っていたのが少しずつ抜けてきたような気分。棚もひとりの人間の思考回路から外れ、これも少しずつ、複数のひとの手で作られたものへと変わってきているようで、これがたのしい。そんなこんなで、ちょうど月が替わりましたが、どうにか二人分の給与をひねり出せました。足を運んで下さったみなさま、本を買って下さったみなさま、本当にありがとうございました。


話は替わって、ここのところ、毎週金曜に八王子まで出張買取に行くというのが三週つづいた。八王子のなかでも東のほうで、有料道路を避けても車で一時間強ほどで到着する。たとえばEarth, Wind & Fireのベスト盤をかけながら行くと、ちょうど聴き終わるころに着く。国道沿いに大きな居酒屋やファミレス、ちょっとした娯楽施設がたくさんあり、自分がそこで暮らしているとしたらどういう風な生活をしているのだろう、などと想像してみたりもした。


出張買取の話になったので、先日品川へ行ったときのことを。品川は駅前の高いビルがたくさんある風景の印象がつよくて、住む場所として想像できずにいた。もちろん同じ区内でも地域によるのだろうが、今回足を運んだ一角はとてもすてきな町だった。歩道の広い通り沿いには葉の生い茂った木が立ち並び、小学校があったかと思えば洒落た飲食店もあったりする。マキヒロチの『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』は、吉祥寺で不動産屋を営む姉妹が毎回部屋を探しているひとに吉祥寺ではないほかの町の魅力を伝えることが、読者にも同じようにそれらの町の魅力を伝えることになるような構成のマンガでとても面白いのだけれど、はじめて読んだときに感じた既視感、既読感が気になっていた。今思うと、それは出張買取によるものだったような気がする。買取でいろいろな町へ行くと、その都度それぞれの町に魅力があることを知り、少し住みたくなる。


Mさんから聞いた話を。常連のMさんは仕事が終わった後によく赤ら顔で寄ってくれて、本の話もする。少し前に野見山暁治をすすめるととても気に入ってくれた。そのMさんが館山の実家の近所の回転寿司でひとりでいるとき、隣の席の男性が『続アトリエ日記』を読んでいたのだそうだ。迷った末に話しかけてみると、木更津で展覧会があり、その日は野見山暁治さんのトーク・イベントの後、そのまま帰るのが惜しいような気持ちになり館山まで足をのばしたということらしい。ほんの短い時間、野見山暁治や本の話に花を咲かせて別れたという。好きな画家の話に直に耳を傾ける機会に恵まれ、高揚した気持ちのやり場に困り、「ちょっと」とは言えない距離を移動して、そういう風にしてきた男性のことを思うと、なんだか堪らないような気持ちになる。


俳句のこと。市場で落札した本のなかに、裸本の寺山修司の句集があり、そのままツブすのも勿体なくて、ある火曜日に一日かけて読んだ。「目つむりいても吾を統ぶ五月の鷹」「燃ゆる頬花よりおこす誕生日」「父を嗅ぐ書斎に犀を幻想し」「沈む陽に顔かくされて秋の人」「木の葉髪書けば書くほど失えり」「かくれんぼ三つかぞえて冬となる」「書物の起源冬のてのひら閉じひらき」「軒燕古書売りし日は海へ行く」など、好きな句をノートに書き写す。


最近の読書。佐藤正午『月の満ち欠け』を面白く読んだ。生まれ変わりをモチーフにした、少し怖くて少しロマンチックな話。出たばかりの長編小説を一気に読むということ自体もひさびさで、それも嬉しかった。ヴァージニア・ウルフ『船出』は今ちょうど読んでいるところで、上巻が終わって下巻の途中。訳文に馴染めず、例によって登場人物がとても多いこともあり、四苦八苦しながら。とは言え、面白いです。並行して読みはじめたのは朔太郎の『詩の原理』。これも面白い。今月はもう少し本を読む時間をとることができるといいのだけれど。